家づくりへの想い


コンセプト

上質な暮らしをデザインする

専務 樋川洋一

はじめまして。専務の樋川洋一です。
僕は小さい頃から父親に憧れていました。
僕の父は建築一筋の人間なので、
僕が産まれた時にはすでに建築に携わっていました。
小さい頃は父を大工さんだと思っていました。
(実際には現場監督 だったのですが)

家の庭先の小屋には材木を加工する機械が置いてあり、
よ く父が材木を切ったり、削ったりと加工をしていました。
多くの大工さんが出入りする加工場。
僕にとってはとても楽しい遊び場でした。
いつも木の香りが していて、おがくずを両手いっぱいにすくって、
パ~っとまきあげると全身を木 に包まれたような
小学校の頃には、木をナタで削って、
ゴルフクラブをつくってみたり、
自家製のバットを作ってみたりしました。
夢中になって造っている時には、汗をかいて必死で働いている
父の姿をいつも思い描いていたような気がします。

でっかいお家を造りあげちゃう父。
多くの職人さん達に信頼されて囲まれている 父。
たくさんのお施主さんと楽しそうに話している父。

僕にとってとてもカッコよく頼もしく感じました。
時には現場にも連れて行ってもらい、家が実際に組上がっていくのを肌で感じとてもワクワクしました。
ハシャギすぎて大工さん達にも「こら!洋一、大人しくしろ!怪我するぞ!!」とよく怒られたものです。

いろいろと体験するうちに、僕も将来家づくりに関わりたいと思うようになりま した。
小学校の卒業文集の将来の夢として、「大工さんになりたい!」と書きました。

また、その一方で、苦い思い出もあります。
その頃の我が家はお世辞にもカッコイイとは言えないお家でした。
俗に言う「プレハブ」という建物で、現代では現場の仮設事務所などでよく使われているものです。
そこに、父、母、姉、僕、弟、の5人で暮らしていました。部屋数も少なく、隙間風入り放題、
階段は落ちそうな程の急こう配、お風呂なんて薪をくべて燃やすタイプのものでした。
特に冬場のお風呂の薪くべは、体が震えとても辛かったです。
薪がなくなると外に出て、薪をナタで割り、窯に鉄の棒で押し込みます。
周りが暗い為、お化けでも出やしないかと思い、キョロキョロしながら薪をくべていました。
ただ、そんな環境の中でも僕が救いに感じていたのは、家族が居間に集う時間が長く、
会話も、ケンカも、仲直りも、褒められる事も、怒られる事も、全てそこで自然に行われていた事です。
絆を深めるのにとても大切だと今でも思っています。

一つ上の姉が小学校高学年になった頃、ある事件が起きました。
どこの家庭でもありがちな事ですが、「この家では友達も呼べないし、自分の部屋が欲しい…」というものです。
姉は女の子と言う事もあり、特にそういう気持ちが強かったようです。
そして、それを期に狭いながらも子供部屋が一つだけ増築されました。
ただの付け足しの小屋でしたが、姉はとっても喜び感動していました。
そんな姉を見て、僕もとてもうれしくなり、いつか僕の部屋になるんだろうな~と思うと余計に胸が高鳴りました。
この時に心が感じた感情は一生忘れられません。親への感謝。
姉への喜びの共感。自分の心の満足感。小さいながらも幸せを感じ、それを味わう事を楽しみました。

これらのようないろいろな体験から、家づくりの楽しさ、家族の集いの時間の大切さ、
感動の感覚とワクワク感、などを学びました。そして社会人になる時、いろいろ悩み考えましたが、
小さい頃の事を思い出し、建築に携わる事を決めました。
それから10年間ある建築会社で現場監督として多くの経験をさせていただきました。
材料の事、コストの事、職人さんの技術の事、デザインの事、などを深く広く学ぶ事ができました。
この経験が今の家づくりに大いに役立っています。

今は6人の子供に囲まれる毎日を送っています。子育ての毎日を通して、
子育ての難しさや大変さ、家計の計画の重要性などを痛感しました。
その半面、子供達の笑顔には大きな勇気を何度ももらいました。また、
「まっすぐな愛」を毎日感じさせてくれます。僕はそんな家族が大好きです。感謝しています。

幼少の頃に感じた事。現場監督時代の経験。
父親として子供から教わった経験。
このような体験から得る事ができた、現代の子育て家族に大切にしてもらいたい事、
その為に必要な素敵なお家、また幸せな暮らしを送るための人生設計を
世の中のより多くのご家族に伝えたいと思っています。

家づくりを通し、伝えたい事

大きな喜びと感動を…
そして深い愛と強い絆を…

幸せ家づくり専門家 樋川洋一